「みんなやってるからやりなさい」って言うときの『みんな』って誰?っていう話。
「みんなやってるからやりなさい」って言うときの『みんな』って誰?っていう話。本当にその『みんな』とやらは存在するのか?
今回の茶々入れ記事
電車での飲食は「日本の恥」なの? 蔓延する “みんな化語”の5つのタイプ
近藤:似たような単語だと『常識』とか『普通』とかその辺ですね。僕らはこれをよく言われますよね。
窪:まあ、そういうものにケンカを売ってきた人生ではあります笑
僕がこの『みんな』的なものの存在に気づいたのは2年前くらいですね。当時してたバイトの先輩が僕のある行動を注意するときに「それみんな嫌がるからやめな」という言い方をしまして。
そのときに(みんな、じゃなくてお前が個人的に気に入らないだけだろ。普通にそう言えや)と思って『みんな』の存在に気がつきました。
近藤:要は自分の主張が正しいという箔付けをしたいが為の『みんな』発言なんですよね。
窪:でも自分を振り返るとつい言ってしまっているとこはある。
近藤:たしかによく言っちゃうのはありますね。
窪:この記事だと、電車でパン食べてる女性より大声で怒ったおっさんのほうがマナー違反だと思いますがな。
近藤:そもそも電車での飲食ってルール上、ダメなことなんすかね?電車の中での飲食が禁止されてたら怒るのも当然やと思いますけど明文化されてないことをやって怒られるって、それちょっと理不尽すよね。 あんまみんなやらないよねっていうことを駄目って言うのはどうだろうなーって感じですね。さすがにマクドとか匂いのするもんはダメですけど笑
窪 :こういうのに噛み付いてきた身としても、ある程度のことはわきまえるじゃない。電車の中でマックを食ってはいけないのはさすがに分かるとか。
近藤:これ問題としては「みんながやってないからダメです」っていうことではなくて「マクドを食ったら匂いとかで嫌な思いをする人も多いからやめましょうや」っていう他人に迷惑をかけないという倫理的な問題じゃないすか。その倫理的な問題っていうのを指摘をしてあげればいいのに「普通してへんことをしてるからダメやねん」っていう怒り方は雑よねとは思いますね。
窪:そうね。
近藤:まぁ実際、この場面に出くわしたら僕はおっさんの方に迷惑さを感じますけどね。 パン食べるぐらいならそんな言わんでもって感じですよ。 あともし『みんな』ってするのを使って怒ってたら俺をそん中に入れんなよっていうのは思いますね。
窪 :「みんな迷惑してるからダメ」って言う人は、自分だけが不快に思ってるかもしれないことをみんなが同じく感じてるはずだって思っちゃってる。「自分が思ってることはみんなが賛成してくれるぐらい正しいことである」ってそれは危うい考え方よね。そのつもりで言ってないにしても「みんな迷惑してるから」は言葉としてはそういう意味なんだよね。
近藤:この『みんな』って伝染しちゃいますよね。「みんながやってないからダメです」って言われてから「みんなやってないからダメなんや」ってわかった方は次言う側に回るじゃないすか。てことはどんどんそれをやる人が減ってって結局やらなくなるって言う事なんすよね。今回の話は電車のマナーやからまだいいですけど。
他人の人生に『みんな』を当てはめるのはいかがなものか
窪:ちなみに最近なんか言われました?『みんな』とか『普通』とか。
近藤:僕は常に言われてますよこれ。親に普通、大学は行くよって笑
窪:え、あなた浪人の末に大学に行かない選択をしてから5年ぐらい経ってません?笑
近藤:5年経っても未だに言われますよ。一生言われるんでしょこれ。
本当に僕の親が典型的なんすよね。この『みんな』って言うのを使って言葉に権威を持たせる人。アドバイスとして「みんな行ってるから行きなさい」っていうのは、その人の人生のことをちゃんと考えてないすね。 そもそも「みんなと一緒じゃないと駄目です」っていう倫理規範があってんのかどうかを疑えよっていう話ですよ。
窪 :みんなと一緒じゃないとダメってのが本当に強いんだろうな。別になんでもないことなのに、みんなと違うことをするとびっくりされる。
おれが高校受験の時の話なんだけど、公立高校の受験ってあれ前期と後期に分かれてるじゃん。前期が内申表と小論文と面接で、後期が試験の点数で合否が決まる。
みんな前期と後期どちらも受けるのが普通だったんだけど、おれ内申点に自信なかったし小論文の練習するのめんどくさいしで後期しか受けなかったんだよ。それがめっちゃ珍しいってので友達のなかでざわつかれたのがあった。別におれ個人のことだから悪いことした訳じゃないのにね。
近藤:進路選択の時とかにみんなと違うことをやるってなると否定的ですよね。みんなやってないっていうことの違和感を方を気にされちゃう。なんで?っていう疑問が疑問じゃなくてもはや否定になってるんですよね。人と違うことをする珍しさをおもしろがったりしてくれない。
窪:まあ、お説教ですわな。思い返せば、昔は律儀に真っ向勝負してましたねぇ。『みんな』『普通』『常識』って言われるたびにね。
近藤:この「みんなやってるよね」っていう批判を真っ向勝負で跳ね返してきた側からすれば、この言葉によかった試しはないけどね。
窪:『みんな』とか『普通』とか言われた瞬間に(はい来た戦争じゃあ!)って思ってましたよ笑
近藤:これ言われたら(はい話し合い終わった!)っていう終了のゴングですよね笑
窪:『みんな』ってなんすか?『みんな』がやってりゃ正しいんすか?アンタはそうやって物事を自分で考えようとしない思考停止野郎ですよ!」とか言ってました当時笑
近藤:どれだけの人がその『みんな』っていう中に含まれてるんですかね。本当に過半数を取れているんですかその意見は?っていう。
窪 :例えば大学進学率は50%越えてないはずだから「みんな大学に行ってる」とは言えないしね。
みんなを使わずに相手を説得するには?
近藤:相手の意見を否定する時に『みんな』って使わなくても出来る気がしますけどね。
窪:会社で仕事しないやつには「給料もらってんだから働け」とは言える。そういう契約だろうと。学校は難しい気がするわ。掃除やってないやつに「みんなやってんだからやれ」ってつい言ってしまいそう。
近藤:一つの暴論ですよね。相手をねじ伏せてる感じ。強制の言葉なんですね。
これ使いやすいから使ってるだけじゃないすか?使わないってなるとちゃんと相手と対話するしかないんですし。
窪:そう、対話ね!これ言われる側だった時に感じてたのは、別に反抗したい訳じゃなくて「なぜやらないといけないか?」っていうのをちゃんと納得させてほしかったっていうのがあるよね。だから議論をしたかったんだけど議論できる&してくれる人が当時いなかった。
近藤:学校の教師が『みんな』っていうのを使ってたら失望しますわ。僕らがそうでしたけど、賢い子供は疑問を持つと思いますよ。その疑問に対して答えられへんかったら教師に対して尊敬なんて抱けないでしょ。
窪:先生は大変だと思うわ。「なんで朝の9時から世界史やらないといけないんですか?」っていう問いに対して『みんな』を使わずに説得するってなると「義務教育の基本要綱で、世界史の授業を○○時間やらないとお前は卒業できないと決まってる」とかかな。でもおれはそれに対してさらに「時間割で計算したら1月にはその時間終わりますよね?ってことはその後は好きにしていいってことですよね?」めんどくせぇわ!こんな奴の相手すんの。いちいち議論してたら統制が取れなくなる。
近藤:そもそも学校は統制を取らなあかんのか?っていう疑問にぶつかってしまうというね。あかん。この話は教育に突き進んで行って結果的に戻れんくなるやつですね。教育についてはまた今度。
というわけで、まとめ
近藤:誰かにアドバイスするときに『みんな』がって使うのは雑でっせ
窪:『みんな』ってつい言ってしまいがちだし、相手を否定するのにラクだけど、自分の意見がないってことだから意識して使わんようにしたいすな。